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代わりに「国内の需給バランスは、基調としては徐々に改善していくものと見込まれる」との表現に置き換えられた。
「デフレ懸念が払拭できた」というゼロ金利解除判断の最大の根拠が、そっとはずされたのだった。 解除後も一貫して量的緩和策への転換を主張し続けていたNは、十一月二十二日に講演した。
「景気循環の成熟度という観点からみても、あと半年程度で景気後退局面に入る可能性が高い」。 Nの警鐘はこれまで以上に強く響いた。
景気判断の微妙な修正の一方で、N銀は実務的に大きな課題にも直面していた。 二○○一年年初に実施するRTGS(即時グロス決済)制度への移行だった。
RTGSは、N銀にある民間金融機関の当座預金口座を使って行う資金や国債などの取引決済を、一件ごとに即時処理する方式だ。 それまでは時点決済と言って、毎日の決まった時点で各金融機関ごとに受取額と支払額を相殺処理していた。
だが、この方式だと決済時点時以外の支払い不能リスクが高まるため、RTGSへの切り替えが国際的にも求められていた。 H辞任論は、年明け後の一○○一年一月の量的緩和策採用に至る流れの中で、与野党から再三にわたって突き付けられる。
総裁辞任は「政策の失敗」を意味する。 N銀執行部は何としてもそれだけは避けたい。
N銀の必死の防御と政治圧力との摩擦で、矛先は思わぬ形で、Sに向いていった。 がった。
米経済の減速が明らかになり、足元の景況観もその影を大きく受けるようになるにつれて、政治の世界では、ゼロ金利解除の失敗論が高まってきた。 前章で見たように、政府の議決延期請求権を否決した際、N銀執行部の委員が「N銀の責任」による決意を強調したことから、N銀の責任論、総裁Hの辞任論が浮上するのである。
十一月二十一日には補正予算が成立した。 森内閣が掲げる「日本新生プラン」を後押しする経済対策で、柱はIT関連や防災対策、中小企業金融などで総額四兆七千八百億円。
当初は十兆円規模の掛け声もあった。 だが、国債格下げの影響などに配慮し、総額を絞ったうえ、財源も剰余金活用や二年債、五年利付債などでのやり繰りする苦しい台所事情だった。
政府の景気対策は、時期外れの線香花火のような印象しか市場には与えなかった。 その分、政治・政府の苛立ちは、夏のゼロ金利解除を強行したN銀への不満となって凝縮していた。
自民党内では、森政権に反旗を翻した加藤紘一元幹事長による「加藤の乱」の混迷が尾を引いており、政治の外に、〃生贄〃を求める雰囲気があったかもしれない。 十一月一二十日に開いた自民党金融問題調査会・財政部会合同会議では、「仮にゼロ金利に戻る事態になれば責任はどうなるのか。
H総裁はクビか」との声が上それがゼロ金利解除で多数派に転じてみると、「何と多数派というのは楽なことか。 執行部の提案に賛成しておればいい」と立場の違いを実感した。
十一月に入って、Sのところに、ある話が舞い込んだ。 出身先だったO女子大学の学長選挙に立候補を求める学内の声だった。
学内改革で、女性学長を誕生させたいという勝手連的な動き。 いずれは大学に戻りたいと思っていたSの心は動いた。
しかし、N銀はSをゼロ金利解除の功労者と思ったのかどうか、Sに再任を受けるように強く求めたという。 Sは迷った末に、今の仕事への責任感から、「再任後の五年の任期は長いので、途中辞任もOK」との暗黙の了承で、N銀に身を委ねたという。
二○○一年二月ころまでは、官邸などとの調整も再任の方向だったようだ。 ところが、ゼロ金利解除まかへの批判と「H降ろし」の声が高まる中で、政治の世界は「S再任も罷り成らん」の雰囲気に一変していった。
そうした雰囲気の中でN銀の力は及ばず、S再任はあっけなく消えた。 もちろん、N銀に審議委員の任命権はない。
再任するかどうかは、その委員の任期中の政策判断を見て、任命権者の首相が判断することでもあった。 ゼロ金利解除を失敗とみなせば、事前のN銀と当事者の約束事とは関係なく、官邸が判断するのは筋でもあった。
だが、N銀の官邸、政治への根回しがどの程度力が入ったものだったかとなると疑問が生じる。 当時、S再任問題よりも強い関心となっていたまでが任期。
すでに見たように、審議委員の退任時期をずらすため、Sの任期は三年と短く、二○○一年三月末でが任期。 だが、再任含みだった。
S自身、二○○○年初めの段階では、再任を断ろうと考えてい・Sはゼロ金利解除を一貫して主張したが、会合の度に独自提案を維持するのは、正直つらかった。 このころ、N銀は批判にさらされることを極端に恐れていた。
それを物語る一例が、私自身が巻き込まれた取材拒否事件だった。 N銀総裁に対する主要新聞・メディアによる単独会見は、慣例的に各社年一回が原則とされている。
恐らく、今も変わっていないはずだ。 このため、各社は突然の大出来事があった場合を除くと、この「年一回の特権」を活用するため、年末かあるいは年初に紙面の目玉記事として「N銀総裁の単独会見」を掲載する場合が多い。
もっとも、各社が同時期にそろって掲載すると目玉効果は薄れるのだが。 N新聞も二○○○年末に、正月掲載の条件で、Hインタビューを申し込んだ。
この時、私がインタビューに加わる予定だった。 正月の掲載だから、年間を見越した景気展望、世界経済の見方などを事前の質問事項に盛り込んだ。
もちろん、景気判断からみて、「ゼロ金利への逆戻りはあるのか」という質問も用意していた。 ところが、日程、質問調整の過程で、「総裁は、あなたがインタビュアーだと嫌だと言っている」との声が聞こえてきた。
N新聞紙上でゼロ金利解除に批判的な原稿を書いてきたことを、総裁が不のは紛れもなく、総裁辞任の是非だった。 ある観測筋は、「総裁は五年の任期だから、辞任させるのはなかなか難しい。
そこで政界は、その前に、任期三年の委員を降ろすことが総裁への圧力にもなると読んだのでは」と見通す。 一方で、N銀は総裁辞任の圧力をかわすために、S再任問題を防波堤として政治の前に差し出したのではないかとのうがった見方もある。
U再任の時にもチラついた水面下での政治との攻防だ。 新N銀法の柱は、金融政策運営の政府からの独立性と、開かれたN銀の二本柱。
N銀総裁は前項で述べたような各マスコミとの個別インタビューのほか、毎月の定例会見、講演、国会での証言などと、他国のC総裁に比べても、国民への露出度は格段に高い。 両副総裁も、各審議委員も、講演、記者会見などに適時、出席して意見を述べる。
その意味で、開かれたN銀を体現する説明責任をかなり果たしてきたのは間違いない。 快に思っているとの指摘は、随時受けていたのも事実だ。
しかし、N銀総裁から直接に取材拒否を受けようとは思わなかった。 政策広報課長のS友彦に総裁の真意を問いただすと、「総裁は日経の上層部に知り合いがおり、その人を通じて、(インタビュアーの)変更を頼みたいと言っている。
我々は新聞社にそういう要求をしてはいけないと説得しているのだが」と説明、広報課長として苦しい立場に置かれていると強調した。 Hが「日経の上層部」にどう働きかけたのか、あるいはしなかったのかはわからない。
いずれにしても、私のほうからインタビュー出席を辞退した。
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景気判断の微妙な修正の一方で、N銀は実務的に大きな課題にも直面していた。 二○○一年年初に実施するRTGS(即時グロス決済)制度への移行だった。
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総裁辞任は「政策の失敗」を意味する。 N銀執行部は何としてもそれだけは避けたい。
N銀の必死の防御と政治圧力との摩擦で、矛先は思わぬ形で、Sに向いていった。 がった。
米経済の減速が明らかになり、足元の景況観もその影を大きく受けるようになるにつれて、政治の世界では、ゼロ金利解除の失敗論が高まってきた。 前章で見たように、政府の議決延期請求権を否決した際、N銀執行部の委員が「N銀の責任」による決意を強調したことから、N銀の責任論、総裁Hの辞任論が浮上するのである。
十一月二十一日には補正予算が成立した。 森内閣が掲げる「日本新生プラン」を後押しする経済対策で、柱はIT関連や防災対策、中小企業金融などで総額四兆七千八百億円。
当初は十兆円規模の掛け声もあった。 だが、国債格下げの影響などに配慮し、総額を絞ったうえ、財源も剰余金活用や二年債、五年利付債などでのやり繰りする苦しい台所事情だった。
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自民党内では、森政権に反旗を翻した加藤紘一元幹事長による「加藤の乱」の混迷が尾を引いており、政治の外に、〃生贄〃を求める雰囲気があったかもしれない。 十一月一二十日に開いた自民党金融問題調査会・財政部会合同会議では、「仮にゼロ金利に戻る事態になれば責任はどうなるのか。
H総裁はクビか」との声が上それがゼロ金利解除で多数派に転じてみると、「何と多数派というのは楽なことか。 執行部の提案に賛成しておればいい」と立場の違いを実感した。
十一月に入って、Sのところに、ある話が舞い込んだ。 出身先だったO女子大学の学長選挙に立候補を求める学内の声だった。
学内改革で、女性学長を誕生させたいという勝手連的な動き。 いずれは大学に戻りたいと思っていたSの心は動いた。
しかし、N銀はSをゼロ金利解除の功労者と思ったのかどうか、Sに再任を受けるように強く求めたという。 Sは迷った末に、今の仕事への責任感から、「再任後の五年の任期は長いので、途中辞任もOK」との暗黙の了承で、N銀に身を委ねたという。
二○○一年二月ころまでは、官邸などとの調整も再任の方向だったようだ。 ところが、ゼロ金利解除まかへの批判と「H降ろし」の声が高まる中で、政治の世界は「S再任も罷り成らん」の雰囲気に一変していった。
そうした雰囲気の中でN銀の力は及ばず、S再任はあっけなく消えた。 もちろん、N銀に審議委員の任命権はない。
再任するかどうかは、その委員の任期中の政策判断を見て、任命権者の首相が判断することでもあった。 ゼロ金利解除を失敗とみなせば、事前のN銀と当事者の約束事とは関係なく、官邸が判断するのは筋でもあった。
だが、N銀の官邸、政治への根回しがどの程度力が入ったものだったかとなると疑問が生じる。 当時、S再任問題よりも強い関心となっていたまでが任期。
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N銀総裁は前項で述べたような各マスコミとの個別インタビューのほか、毎月の定例会見、講演、国会での証言などと、他国のC総裁に比べても、国民への露出度は格段に高い。 両副総裁も、各審議委員も、講演、記者会見などに適時、出席して意見を述べる。
その意味で、開かれたN銀を体現する説明責任をかなり果たしてきたのは間違いない。 快に思っているとの指摘は、随時受けていたのも事実だ。
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我々は新聞社にそういう要求をしてはいけないと説得しているのだが」と説明、広報課長として苦しい立場に置かれていると強調した。 Hが「日経の上層部」にどう働きかけたのか、あるいはしなかったのかはわからない。
いずれにしても、私のほうからインタビュー出席を辞退した。
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